【トリチウム水トリチウムの風評被害はタチが悪い海産物のスクリーニングができない!

1. 間近に迫った処理済み汚染水の海洋放出

汚染処理水は現在124万㌧を超えています。1300兆ベクレルを超えるトリチウム水が混ざっています。 タンクエリアを全部使ってタンクを作っても137万㌧貯蔵が限度です。(追記)その後5月27日付の幾つかの全国紙の報道によれば、東電はタンク23基(3万㌧相当)の増設を決定しました。

2022年秋には満杯になると見込まれていて、その前に海洋放出するのが国と東電の方針です。放出設備の整備に二年程度かかるため、 国は まもなくこの方針を決定する意向です。(追記)その後4月13日にこれが正式に決定されました。(廃炉・汚染水・処理水対策関係閣僚等会議の報告 https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/alps_policy.pdf


図 1 処理水の現状 タンク容量の90%超

2. 海洋放出の他に現実的な処理方法は? 不採択となった「大型タンクでの長期貯留案」

民間の団体「原子力市民委員会」が「大型タンク貯留案」を国に提出しています。 石油業界では既存の設備ですから、限られた工期であっても建設できるし、長期保存に耐える堅牢性も 備えていて、実績ある現実的な案といえます。

この方法の何よりの魅力は、①長期の陸上保存をするだけで放射能を減衰させることができること。そして、②この保存期間中に新しい処分技術の開発を期待できること。


図2 10 万㎥の原油タンク(直径82 m × 高さ 22.5 m)

国と東電はこの意見を採用しません。その主な理由として

  • 設置面積あたり貯留容量は現タンクと大差ないので、現敷地に作ることは意味がない (第13回 「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」以後は「小委員会」と略記しますにおける説明)
  • 代わりに隣接する中間貯蔵施設の敷地を用いる場合は、汚染水移送のパイプライン に加えてパイプラインを護るフェンス等が必要になる( 第17回小委員会)

との意見を述べています。

しかしパイプラインと防護フェンスの建設はさほどの困難ではない でしょう 。 中間貯蔵施設の敷地にタンクを増設して陸上保管をする案を検討すべきです。タンクの種類を現タンクとするか大型タンク とするかは、工期・保守・費用についての優劣を再度検討したうえで決めればよい のではないでしょうか 。

国と東電も海洋放出が確実に「風評」被害を伴うことを深刻に認識しているようです。そして、それを避ける方策を検討し、被害を避けがたいとし 、被害 を最小にする方策を検討し、「(海洋放出ならば)産品影響はほぼ水産物を扱う業者に留まる 」と記して海洋放出の選択を勧めています。( 第17回小委員会 )しかし、このような 苦渋の選択は「海洋放出ありき」の考えにとらわれての結論であって 、「風評」被害を避けることを真に願うならば、やはり前記の長期陸上保管を検討すべきです。

3.海洋放出が引き起こす「風評」被害の特徴は

■ 検査とスクリーニングが役立った、 放射性セシウム汚染による「風評」被害対策

福島県は海産物に含まれる放射性セシウムの検査を毎年10,000 件ほど実施していますが、近年は 基準 限度を超える海産物はほとんど見つかっていません 。


図3 福島県海産物のモニタリング結果

この多数の検査とその結果の公開が「風評」被害を弱める上で有効であったことは、消費白書に載ったグラフが示しています。そこには、福島県産の食品を購入した理由として、「検査がされている」「基準値超えの出荷制限」がそれぞれ2割強ありました(理由を複数選ぶことを可とする調査の結果です)。


図4 福島県産の食品を購入した理由

放射性セシウムの汚染がほとんどなくなっても、福島県産海産物の平均価格は原発事故前の8割前後にとどまったままです。


図5 福島県産の海面魚の平均価格

■トリチウム汚染水「風評」被害の対策には、検査・スクリーニングを使えない

海産物に取り込まれたトリチウムの検査には数日~数か月の手間と時間がかかります。また粉砕・ 真空乾燥・封止・蒸留など資料調整の手間は めんどうです。

したがって魚や海藻などの海産物の汚染度検査は行おうとしても件数は限られ 、また出荷する前のスクリーニングは事実上不可能です 。

原子力規制員会の委員長の記者会見での発言「分析する(サンプルの)数を限定すれば不可能ではない」も、分析の難しさを認めるものと言えます 。( 2020 年 10 月 22 日 東京新聞朝刊 2頁) しかも発言は海水の分析についてであって、魚肉などに有機物として取り込まれたトリチウム(これは有機固定化トリチウムOBTと呼ばれる)については言及さえもありません。そしてOBTの測定には、試料採取から2か月強を要するのです。


図6 海産物に含まれるOBT濃度測定までに要する時間は長い


図7 海産物に含まれるOBT濃度測定法の手順はめんどう

■ 結論として 新たな「風評」被害の克服は今まで以上に困難

このように、検査数が限られスクリーニングは不可能という点では、海洋放出が引き起こす「風評」被害はこれまでの「風評」被害よりも手ごわいのです。

したがって海洋放出を認めてはいけません。陸上での長期保管など、他の手段を考えるべきと 考えます。

4.海洋放出 科学的に見てどのくらい「安全」か

■ トリチウム水「いろは知識」/トリチウムの被曝は内部被爆(外部被爆はない)

トリチウム水(HTO)の分子は水の分子(HO)の水素原子(H)のひとつをトリチウム原子(T)に置き換えたものです。


図8 水分子(左)とトリチウム水分子(右)

トリチウム原子は平均寿命18年弱で壊れ、壊れるときに電子が飛び出します。このような高速電子線をベータ線と呼びます。トリチウムが出す放射線はベータ線です。

なお放射性セシウムは別種の放射線ガンマ線を放出します。ガンマ線は電子レンジが放射するマイクロ波などと同じ電磁波ですから、透過力が強くて人体に侵入し透過もします。

これに対してベータ線は粒子(電子)ですから透過力は弱くて、体や水の中をわずか0.005mmしか進みません。



図9 ガンマ線とベータ線の透過力の違い

ですから体外から照射されても皮膚表面の被曝にとどまります。トリチウムによる被ばくは、体内に取り込んだ場合に生じる内部被爆のみで、外部被爆はないのです。 トリチウム汚染水の近くにいても被ばくはありません。口に入れなければ、蒸気を吸い込まなければ、安全です。この点、外部被爆も問題となる放射性セシウムとは異なります 。

■ うっかり「いろは」を間違えたNHKニュースウオッチ9

国と東電は「風評」被害の出発点は 「メディアによる情報の偏り」としています。そして 、対策として「TV 等を活用した政府の情報発信」を重視するとしています。( 2019年12月に開催の第17回小委員会)

その三か月後にNHK は、総合放送の看板ニュース番組ともいえる「 NHK ニュースウオッチ9」 で、ビーカーに採取したトリチウム汚染水の上からガンマ線測定器をかざして「部屋の環境と変わらない」とアナウンサーが言う映像を流しました。


図10 2020 年 3月11日放映 NHK ニュースウオッチ9「タンクの水の処分 揺れる漁業」

この報道が間違っていることは、もうお判りでしょう。水の中のトリチウムから放射されたベータ線は水面上に脱出できませんから、線量が出るわけがないのです。

同じ間違いを67年前に,在沖縄米軍が「雨水に放射能がない」ことを「証明」するためにやっています。この場合は核実験による雨のストロンチウム汚染を隠す意図がありました。いまでいうフェイクです。



図11 67年前の沖縄米軍 フェイクな放射能検査で「安全」を宣伝

公共放送であるNHK がフェイクを報道したとは思えません。たぶん単純な間違いでしょう。そうであるなら、お詫びと訂正を放映し、またホームページ に残っている放映記録も訂正すべきです。 さもないと「( 風評対策として)TV 等を活用すると決めた政府・東電に忖度したのでは」という不名誉な誤解を招きかねません。

なお同放映では、ガンマ線測定器でベータ線を計量するという間違いも行っています。いわば「身長を測るのに体重計を使う」のと同レベルのつまらない間違いです。これもお詫び・訂正すべきでしょう 。

■ トリチウム水の「いろは知識」/有機固定化トリチウムOBT

トリチウム水HTOは体の中では普通の水HOとまったく同じように振舞います 。10日ほどで排出されます。体内にいる時間が短いのでベクレル当たりの被ばく量は小さい。しかし、先にご紹介した有機固定化トリチウムOBTは体内にいる時間がトリチウム水HTOよりも長いので、ベクレル当たりの被ばく量が比較的大きくなって被ばくの危険度が増します 。


図12 有機固定化トリチウムOBTの一例

■ 国と東電による科学的な説明

国・東電は多くの根拠を挙げて安全性を説明していますが、放射線について素人の私たちであっても分かり易く説得力ある根拠は次の二つです 注 小委員会事務局「トリチウムの性質等について(案)」https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/pdf/008_02_02.pdf

[根拠1]「 海洋放出されるトリチウム量は日本全国の原発が放出する5年分にあたる」と聞くと、手に負えないほどの大量と思えてしまうが、 (ア)既存の環境中のトリチウム量、(イ)宇宙線が一年間に生成するトリチウム量、( ウ )核実験が ばらまいた トリチウム量、 これらよりも 1~5桁 も少ない量である。

[根拠2]トリチウム水HTOおよび有機固定化トリチウムOBT、いずれも体内滞在時間は短い(生物学的半減期はHTOが約10日、OBTが40日から1年)。したがって多少の内部 被曝あったとしても被ばく量(計算値)は健康に害を与えるレベルではない。

この二つの根拠は、またこれ以外にあげられた複数の根拠も、放射線防護学の知識に沿ったものです。その限りでは、この報告 そしてその制作に関わった方々に信頼を置いてよいでしょう。

■ 国・東電による安全説明に懸念があるとすれば、それは・・・

それはOBTの生成と、食物連鎖を通じてのOBTの環境と人体への濃集、これらの知見が現状では 足りないことです。近年の研究で「植物プランクトンが光合成でOBTをつくり、これを出発点とする食物連鎖によって底魚にOBTが濃縮されていること」文献1「 海・河底の沈殿物にトリチウムが濃縮されたOBTが長期存在していること」文献2、文献3が分かってき ました 。

もしOBTの環境中での濃縮と長期存在とが無視できないレベルであるとすると、「根拠1」 の再検討が必要となるかもしれません。 なぜなら、先に挙げた(ア)(イ)(ウ)のトリチウム水の量はALPS 処理水よりもはるかに大量ではありますが 、環境中に均一 になって薄まっているからです。ALPS処理水を稀釈して海へ放出してもOBTの形で濃縮されてしまうならば、海産物が(ア)(イ)(ウ)由来の汚染よりも高レベルの汚染を被る可能性があります。

また[根拠2]も怪しくなります。なぜなら人間は食物連鎖の上位にあるので濃縮されたOBTを摂取する可能性があるからです。また、放射線防護学が想定する以上の長い生物学的半減期があるとすると、被ばく量は健康に被害を与えるレベルになる懸念があります。

■ OBTの研究など原発事故後始末に必要な研究に国の後押しを

トリチウム汚染水の海洋放出の安全性についての国・東電の説明・報告の書類を私が調べた限りでは、引用されている文献は2010年以前のものが大半です。

先に挙げたOBTに関する研究は2010年以後に活発で、トリチウムを大量に発生するタイプの原発を使っているカナダでは2019年からの三年間プロジェクトによってOBTの危険性を調べる 研究を行っています文献4

大量のトリチウム汚染水を抱える日本は、カナダ以上にOBTの研究に人と資金を投入すべきではないでしょうか。それをせずに科学的知識が足りないまま海洋への放出を行って 万が一にも実害が生じたときに「想定外であった」と言い訳してはいけない 。

5.結論

私たちも国・東電も確実と予想している「風評」被害、これを伴う汚染水の海への放出を実現させてはいけません。代わりに陸上での長期貯留をするのが最良の策と考えます。

国・東電が言う「海洋放出 は本来安全」が正しいか否かを議論することはこれからも必要でしょう。しかし、確実に漁業者の生活を破壊する「風評」被害を防ぐための議論を優先しましょう。

2021年2月20日 栗原春樹(JCFU事務局)記 / 同6月10日改稿 

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■ 図のリスト

図1 処理水の現状 タンク容量の90%超
データは東京電力の「処理水ポータルサイト」⇒「処理水の現状」から https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/index-j.htm
図2 10 万㎥の原油タンク(直径82 m × 高さ 22.5 m)
原子力 市民委員会の記者ブリーフィング資料( 2019年10月3日)より
http://www.ccnejapan.com/documents/2019/20191003_CCNE_kawai.pdf
図3 福島の海産物のモニタリング結果 
福島県のHP「農林水産物のモニタリング検査件数及び結果の推移」掲載のデータを基に作成
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/894.html
図4 福島県産の食品を購入した理由
消費者庁 News Release 2020年3月10日)「風評被害に関する消費者意識の実態調査(第13回) 」より 作成
https://www.caa.go.jp/notice/assets/consumer_safety_cms203_200310_01.pdf
図5 福島県産の海面魚の平均価格
福島県の HP 掲載のデータを基に作成
https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/397020.pdf
図6 海産物に含まれるOBT濃度測定までに要する時間は長い
(独)日本原子力研究開発機構 山西敏彦「トリチウムの物性等について」を基に作成
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/tritium_tusk/pdf/160603_02.pdf
図7 海産物に含まれるOBT濃度測定法の手順はめんどう
引用元は図6と同じ
図8 水分子(左)とトリチウム水分子(右)
図9 ガンマ線とベータ線の透過力の違い
図10 2020 年 3 月 11 日放映 NHK ニュースウオッチ9「タンクの水の処分 揺れる漁業」
NHK の番組 HPに記載記事より作成
https://www9.nhk.or.jp/nw9/digest/2020/03/0310.html
図11 67年前の沖縄米軍 フェイクな放射能検査で「安全」を宣伝
2014年8月11日 日本テレビ 放映 「 NNNドキュメント 続・放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ雨は今」からの静止画
図12 有機固定化トリチウム OBT の一例


■ 本報告で参照した「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」の公開資料リスト

第13回小委員会関連
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/pdf/013_04_02.pdf
第15回小委員会関連
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/pdf/015_04_03.pdf
第16回小委員会関連
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/pdf/016_04_01.pdf
大17回小委員会関連
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/pdf/017_00_05.pdf

■ 文献リスト

文献1 Jaeschke, B.C., Bradshaw C. (2013) "Bioaccumulation of tritiated water in phytoplankton and trophic transfer of organically bound tritium to the blue mussel" lYfytilus edulis, JEnviron. Radioactivity,115:28 33
文献2 G J Hunt, T A Bailey, S B Jenkinson and K S Leonard "Enhancement of tritium concentrationson uptake by marine biota: experience from UK coastal waters" J. Radiol. Prot. 30 (2010) 73 83
文献3 Frédérique Eyrolle et al. "Evidence for tritium persistence as org anically bound forms in river sediments since the past nuclear weapon tests" Scientific Reports | (2019) 9:11487
文献4 Jennifer Olfert (Project Lead) & Lars Brinkmann (Technical Lead) " Modeling the transfer of organically bound tritium (OBT) through marine food chain"
https://www.aecl.ca/wp-content/uploads/2020/12/Olfert_51400.50.19.03-Accessible-PDF.pdf